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【コントが始まる】最終話(第10話)の感想・ネタバレ/春斗の問いに答えをくれたのは里穂子だった

コントが始まる第10話 感想 ※ネタバレ注意

冒頭からずっと春斗が問い続けている問い、

「マクベスは俺にとって何だったんだろうか。もし続けてきたことが間違っていなかったのだとしたら、この10年にはどんな意味があったのだろうか」

解散ライブを終えた後も春斗の中で答えがでないままでしたが、その答えをくれたのは、やはり里穂子でした。

「まずは十年間お疲れ様でした。これからもずっとファンでいつづけることをここにお約束します。」

「私にとってマクベスの御三方たちは特別なんです。

頑張っている姿も、悩んでいる姿も、もがいている姿も見てしまってますし、私個人的には一番苦しい時を支えていただきましたので、マクベスが解散してもあなた方が精魂こめてつくったコントは消えることはありません。動画としても残りますし、何よりファンの記憶のなかにしっかりと残り続けます。私はこれからもあなたが書いたコントに、あなた方が作り上げたコントに何度も助けてもらうことになるでしょう。もしかしたら笑って見る機会よりも、泣いて見てしまうことの方が多いのかもしれません。

それでもお約束いたします、これからもファンでいつづけることを。マクベスに出会えて本当に良かったです。」

「解散前にあなたのような方に出会えたことが一番の幸運だったのかもしれません。

昔は満員の客席の前でライブしたいなって思ってましたけど、でもそれだけじゃないんだなってことを気づかせてくれたのは里穂子先輩です。

そりゃ、100人の人に見てもらえたらうれしいけど、一人の人が100回見てくれることも同じくらいうれしいことで、それ以上にありがたいことで、一人の人がちゃんと見てくれているとわかったことで、俺たちみたいな人間は頑張れるんですよ。やってきた努力が無駄じゃなかったなって思えるんですよ。だから、感謝してます。マクベスに気づいてくれてありがとうございます。」

もう、これ以上はないくらいに完璧なやりとりでした。

感想を書かなければいけないのですが、何の説明も補足も、無駄な言葉もない極上のシーンでした。

マクベスは100人の人に見てもらうことはできなかったかもしれませんが、たった一人の人の人生を支え、誰かの心のなかで生き続けるということがわかりました。それが春斗が10年マクベスを続けてきた意味です。

里穂子は、いわゆるマクベスの「推し」と言えると思うのですが、単なるファンと「推し」の違いは何かと考えた時に、「苦労している時間の共有」なのではないかとこのシーンを見て思いました。

里穂子の言葉に「悩んでいるところも、もがいているところも見てしまっている」とあります。

一方的にコントを見て励まされるだけだったら、ここまでの関係にはなかったと思います。表側だけではなく、人間らしく悩み苦しむ姿を知るからこそ、ファンは応援したい、推したい、という能動的な行動が生まれ、努力する時間は共有され、芸する側にも返ってくる。それは人間らしい循環する関係性なのだと思います。

マクベスは大量消費される売れる芸人にはなれませんでしたが、確かに人と人の間にできる喜びや救いや絆のようなものをコントを通してつくってきたのだと思います。

それを表すような、マクベスの部屋を担当していた不動産屋の一言がありました。

「売れてはないけど、愛されてましたよ」

見ながら、「そういうこと!」と思わず声を出していました。

いつも興味なさそうにしていたモブキャラ不動産屋に、このセリフを言わせるのがにくい演出だなとぐっときました。

最後に春斗は、じゃんけんで泣きながら勝ち取った冷蔵庫に貼られていたマグネットを見て、就職先を決めました。里穂子が言っていた、本当に小さなきっかけ、それを春斗もつかむことができたんですね。人生ってコントみたいなもので、ちょっとした出会いや仕掛けの積み重ねで、いくらにでも笑ったり転んだり涙したりする。

第1話のコントの設定と同じ、水道屋という伏線回収も鮮やかな最後でした。

コント「引越し」内の言葉、「振り返った時に正解だったと思えるよう生きていくしかないだろう」。これは、人生の真理だと思います。

芸人でなくても、酒屋になっても水道屋になっても、就職してもしなくても、結婚してもしなくても、自分で選んで魂込めてやったことであれば、人の心に通じ何か愛のようなものが生まれるのだとこのドラマは教えてくれました。私もそういう人間でありたいと思います。

素晴らしいドラマをありがとうございました。

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